実践「心の教育」(9)
 
    道徳や総合的な学習で「心の授業」を展開しよう
 
 
                        心の教育総合センター・主任研究員
                                兵庫教育大学教授
                                    冨永良喜
 
1 心の予防教育
 いじめやからかいは、憎しみや怒りの感情を生む。その感情を身体に閉じ込めつづけることで、悲劇が生まれる。多くの学校では、いじめが起きたときに、予定の授業を取りやめて学級会や学年集会を開いている。しかし、年間の授業計画に、いじめ防止授業や、人が傷ついたときに心身がどうなるのかといった「心の授業」を組んでいる学校はまれである。いじめの渦中では冷静に物事を考えることはむつかしい。問題化していないときにこそ、いじめについて考える予防教育ができる。兵庫県では、神戸少年事件をきっかけに、心の教育総合センターを設置し、「心の授業」に関する試験的な実践をはじめている。最近「心の教育授業実践研究第2号」を発行し、小学校低学年から高等学校までの授業研究を紹介しているので、多くの教員のみなさんに実践していただきたい(www.hyogo-c.ed.jpに掲載)。
2 心の授業
 「心の授業」は、ストレスマネジメント授業、人間関係を学ぶ授業、自分をみつめる授業の3つから主に構成される。
 ストレスマネジメント授業では、ストレスについて考え、リラックス法などの望ましい対処法を体験的に練習する。「むしゃくしゃする時は友だちとリラックス法をやってみたい」「家の人にもやってあげたい」「気持ちがいい」といった感想を多くの子どもたちが述べている。
 人間関係を学ぶ授業には、いじめ防止やさわやかな自己主張の仕方の授業がある。いじめ防止授業では、事前にいじめについてのアンケート調査を行う。「なぐられたり蹴られたりした」「無視されたり仲間外れにされた」など、具体的に尋ねる。また、「むしゃくしゃする」「誰かに怒りをぶつけたい」などのストレス反応調査も同時に行う。その資料を基に、いじめとストレスについて考える。どのような子どもがいじめ加害をしてしまうのか、また、いじめ被害に会うと心身がどうなるかを考える。「いじめは安心な安全な感覚を奪う」「いじめの行為は許されない」と子どもたちが自己決定していけるように授業を進める。ことばが心の栄養にも毒にもなることを学ぶ。そして、怒りの上手な表現方法を練習する。
 自己主張の仕方を学ぶ授業では、いつも攻撃的な言い方をしていた子が、「ぼくそんな(攻撃的な)言い方したことないもん」と言って周りの子どもたちを驚かせ、はじめて自分の言い方に気づくことがある。
 自分をみつめる授業には、自分の性格を調べたり、過去の人と人のよいつながりを見つめる授業がある。授業の感想として、高校生は「ふだんの自分のわがままを思い知った」「今までなんと親不孝な子どもだったかがわかった」「友だちに恵まれささえられてきた」などと素直に述べている。
3 心の授業の位置づけ
 このような教育実践をどのように広く展開していくかが、今日的課題である。文部省は、2002年に「総合的な学習」を導入する。その授業内容を、特定していないが、環境、情報、国際理解、健康・福祉の4つを例示している。いずれも、「生きる力」を育むには、大切な内容である。しかし、学習にあたっては、自分との対話や他者を尊重する構えがそのベースとなることは言うまでもない。したがって、「心の授業」こそ、その基礎になるはずである。しかし、文部省が例示していないために、公的な市民権を得ていないのが現状である。教師が「心の授業」を実践したくても既成の授業を削って行わないといけない。だから、文部省は、「心の授業」を、総合的な学習、道徳、特別活動に明確に位置づけてほしい。
4 実践にあたって
 実践にあたっては、まず、教師が自ら体験し、よいと実感したものを子どもたちに提案してほしい。そして、子どもの自己選択・自己決定を尊重しながら、体験的な学習を嫌がる子どもには強制しないといった配慮が必要であり、スクールカウンセラーなどの臨床心理学の専門家と連携をとりながらすすめたい。
 凶悪な少年事件の背景には、自分の感情や存在を否定するような傷つき経験がある。そして、傷つけている者が傷つけられた者の傷の深さに気づいていない点に、今の悲劇がある。虐待やいじめがどんな悲惨な結果をもたらすかを教え、望ましいかかわり方を体験的に学ぶ場を公的機関が用意する時代が来ている。少年たちの心の闇を理解することも必要だが、心の光を膨らます支援こそ今、求められている。