ユーモアで批判的思考力を磨こう

(トークやしろ '02/06/23放送  ただし、一部、加筆・修正しました。)

私は3年ほど前に、琉球大学の道田先生という方と4コママンガを題材にして思考の方法−−つまり、「考え方」について学ぶための本を作りました(『クリティカル進化論』 道田泰司・宮元博章/秋月りす 北大路書房)。この4コママンガというのは秋月りすさんの『OL進化論』という作品で、ある週刊マンガ誌に現在も連載中ですので、ご存じの方もおられるかと思います。

その本で私たちは批判的思考という考え方を説いたのですが、この場合の「批判的」というのは、相手の言うことをけなしたり、イヤみをいったり、揚げ足をとったりすることではありません。そうではなくて、情報や人の意見を鵜呑みにせずに、自分の頭で論理的に考えて吟味すること。物事を一面的に見るのではなく、常に複数の視点から見て、様々な可能性を考えること。そして、自分の思考が偏っていないかどうかをチェックしながら、バランスのとれた判断を下すこと。そんな思考法を総称して批判的思考と言います。もっとも日本語の「批判」という言葉は、どうしても否定的な印象が強いので、私は日本語ではなく英語のクリティカルシンキングという言葉をよく使っています。

さて、思考法を学ぶ−−特に論理的な思考を学ぶというと、難しくて頭が痛くなりそうで敬遠したくなる人もいるでしょうが、私たちは中高生ぐらいから読めることを念頭において本を作りました。またよくある「頭の体操」のようなクイズ・パズルでもありません。4コママンガという、日常生活でよく出会うような笑い話をネタにして、説明していくスタイルをとったのですが、こうしたユーモアやギャグを使うのは、たんに読者の興味をそそり、取っつきをよくしたり、人の目を引くためばかりでなく、むしろ、そこに考え方を学ぶ上で非常に有利な特徴があるからなのです。今日は、そのことをお話しします。

まず、具体的な例を挙げましょう。こういうマンガがあります。

ある女性が悩んでいます。つき合っている彼氏が最近無口になったのです。以前はもっと明るい人だったのに。そこで彼女はいろいろ原因を考えます。私に対する気持ちがさめたのか、仕事の悩みがあるのか……、それで友人に相談するのですが、その友人は2人がつき合いはじめて半年目と聞いて、こう言います。

「それって、単にサービス期間が終わっただけじゃないの?」

なんかこう、マンガを言葉で説明すると味も素っ気もないですね……

このマンガの場合は、友人の答えが正解と決まったわけではありません。実際気持ちが冷めてしまったのかもしれませんしね。ただ、友人は、彼女の考え方の視点をひっくり返してしまった所がおもしろいわけです。彼女の方では、もともと彼は明るい人だったのが、最近無口になったという前提で理由を考えています。恋が冷めたせいという可能性だけでなく、仕事の悩みという別の可能性も考えている点は賢いと思います。他にも可能性は考えられるでしょう。しかし、彼女の発想にも限界があります。一方友人の方は、そもそも彼が明るい人だったという事実そのものを疑いました。つきあいはじめの頃の方が異常に明るかったので、むしろ今の方が普通の状態だという逆転の発想です。私も一人の男性として言わせてもらいますと、この解釈は十分ありそうなことです。そして、この発想は当事者である彼女にとってはなかなか出てこないものでしょう。人はともすると自分を中心においた視点でものごとを考えますので、自分とつき合う以前の彼氏がどうだったかということはなかなか思い至らないのです。

もう一つ例を挙げましょう。

会社の課長さんが、部下の若いOL達に「土曜日にパソコン講習会があるので出席するように」と告げます。すると、当然彼女たちはブーブー文句を言います。そこで課長さん、「講師の吉田君は本社勤務のバリバリエリートで28歳独身、コンピュータはもとより外国語も堪能な、将来有望な若手だ。」と告げます。するとOL達は一転して「どんな人、きょーみあるよね、楽しみー」と浮かれ出します。さて、そこで4コマ目のオチが来るんですが、どうなると思いますか?

 答えは、この吉田君という講師は女性で、OL達はあっけにとられてポカンとするというものです。

このマンガのタイトルは「はかられた!」 まさに課長さんに一杯食わされたのですが、しかし、課長さんの言葉を改めて読み直してみますと、「吉田君は本社勤務のバリバリエリートで28歳独身、コンピュータはもとより外国語も堪能な将来有望な若手」とあり、吉田君が男性だとは一言も言ってないので、嘘をついたわけではありません。こういう女性がいても全然不思議ではないはずですが、誰もその可能性に気づきませんでした。皆さんはどうだったでしょうか?

ここでは固定観念が問題にされています。本当は必然性がないのに、コンピュータや外国語が得意なエリート社員は男性だという暗黙の前提です。彼女たちは、その人が男性か女性かという疑問すら持たなかった。このマンガを初めて読んだ時、私も同じでしたのでガーンと来ました。皆さんはどうでしたか? 確かに意識的に「男性と思いますか、女性と思いますか」と質問されていたら、「これだけの情報では分からない」と答えられたでしょう。しかし皆さんもその場にいたら、女性の講師をみて一瞬「あっ」と思ったかもしれませんね。これに限らず私たちはいくつもの固定観念を持っていると思いますが、固定観念の多くは、自分がそういう固定観念を持っているということ自体気づいていないものです。それで、いつ気づくのかというと、勘違いや早とちりなどの失敗が起こった時に初めて気が付くのですね。いや、正確に言うと気づくチャンスが与えられるだけです。その気がないと、せっかくいい経験をしても、それ以上に深く考えずに、忘れてしまいます。このマンガの例でも、「あーあ課長にまんまとだまされた」で笑って終わったらそれまでですが、そこで思考をもう一歩進めて「でも、何でだまされたんだろう?」と再考すれば、思考力の成長につながるのです。

ユーモアを素材にして思考を磨くというのが今日のテーマですが、ユーモアはマンガばかりではありません。他の例を出してみましょう。私が好きな本の一つに『マーフィーの法則』というちょっとふざけた本があるのですが、この本は日常生活で私たちが、はっきりと口に出しては言わないけど、うすうす感じている「法則」が語られています。出だしからして「失敗する可能性のあるものは失敗する」という力の抜けそうな法則で始まるのですが、さらに発展形として「失敗する可能性のないものも失敗する」と続きます。原発の事故や狂牛病問題などを思い起こせば、必ずしも笑ってばかりもいられません。

たぶんみなさんの多くが思い当たる例として「隣の列は速く進む」という法則があります。どうでしょうか「いかにも」と思いませんか? この法則にはさらに続きがありまして「隣の列に移動すると、今度はもといた列が速く動き出す」。その他に「故障した機械を人に見せようとすると動き出す」とか、「洗車をすると雨が降る」とか「歯が痛み出すのは土曜日の夜」とか、たくさんあるのですが、この辺で止めておきます。

「隣の列は速く進む」というのは、言われてみると確かに「あるある」と感じるのですが、普段それほどきちっと考えているわけではありません。理性的に考えると、「もしきちんと統計を取ったら自分がいる列が速くなる確率も、他の列の方が速くなる確率もだいたい同じになるだろう」ことは分かると思います。にもかかわらず、実感として何となく「隣の列は速く進む」というのが正しいように感じてしまう。このギャップに笑いが生じるわけですね。

普段漠然と感じていることを改めてハッキリ言葉に表すと、その非合理性に気づいてしまうこと、あるいは、我々が当たり前に思っている常識をあえて反対の視点から見てみると、案外それも理にかなっていたりする。良質のユーモアとはそんな柔軟な思考を私たちに示してくれるお手本です。

たとえば『OL進化論』の中に次のようなマンガがあります。

成績が下がってしまった高校生が、お母さんに向かって「今の入試制度のように偏差値で振り分けて、1回のテストの成績で落とすのはよくないよ」と訴えます。それに対してお母さんは「それじゃ、全人格を総合的に評価する入試だったらいいの?」と問い返します。彼は「うん」と即答するのですが、お母さんは

「そんな試験に落ちたらダメージ大きくないか」

と切り返します。

高校生の彼の意見も、ある意味もっともな正論なのですが、お母さんのような考えに立つと、人間を選別するのが入試であるという前提に立つ限りは、テスト成績という1面だけで人間を分ける方が、むしろ人間性を尊重していることになる場合もあるという、一見常識を覆すような考え方も可能になります。もちろん、私はお母さんのこの考え方が正解だと言うつもりはありません。息子は入試の一面性や一度きりという点を問題にしているのに、お母さんはそれをいきなり「人格」の問題にすり替えているという詭弁の要素も確かにあり、議論の余地が残っています。ここでこの例をあげたのは、その内容の是非そのものよりも、むしろ、彼女が柔軟に、多面的に考えた、その考え方を手本にしたいわけです。

今あげた笑い話は数例ですが、ここで問われているのは、私たちのものの見方・考え方の偏りや、私たちが陥りやすい考え方の落とし穴です。私たちは普段いろいろなことについて、あれこれと考えます。たとえば毎日の献立について考える。政治腐敗について考える。家計の問題について考える。少年犯罪と子どもの教育について考える。「何か」についていろいろ考えますが、何かについて考えるその考え方について考える機会はあまりないのではないかと思います。

マンガを読んだり、ジョークを聞いたり、漫才などを見て私たちは笑います。それはそれで楽しいのですが、それがなぜおかしいのか? そこを改めて考えていただきたいのです。人間がどのように、間違った考えをしてしまうかという数々のお手本は、逆に私たちに論理的・合理的な考え方とは何かを教えてくれます。また、ユーモアというのは我々が普段当たり前のこととして、何も疑問に思わないような、型にはまったものの見方・考え方や、いわゆる「常識」を白日の下にさらした上で、ひっくり返すのですね。これは新しいアイディアを生み出す創造的思考につながります。

ギャグとかジョークを教材にして、楽しみ、笑いながら、同時に私たちの普段の思考を再点検し、考え方について学ぶことが可能だということが分かっていただけたかと思います。ただ、最後に断っておきますが、マンガを読んだり、漫才などを聞くだけですぐに思考が柔軟になって思考力が向上すると言うわけではありませんので誤解のないように。これはクイズ・パズルでも同じで、やるだけで頭が良くなるわけではありません。そこから「良い考え方のエッセンス」を引き出してきて、今度はそれを別の日常生活の場面で活用しようという意識的な姿勢や努力があって初めて思考が磨かれるものなのです。

今日の話しはここまでです。ありがとうございました。