サイン言語の指導
−御用学習場面での要求サインの指導−
井上雅彦
1.サイン言語指導について 無発語の知的障害や自閉症をもつ子どもに対して、サイン言語を教えようという試みは1970年代から始まりました。無発語の子どもたちの中には音声表出言語の指導に膨大な時間を費やしても成果の上がらない子どもが存在したこと、音声表出言語の指導に平行、または先行してサイン言語を指導することで音声表出言語の獲得を促進させうるという事例が報告されてきたことなどがその理由です。一方では逆に、サイン言語等の補助代替コミュニケーションを積極的に指導することで音声言語の獲得が阻害されるという説もありますが、この説の実証的なデータは乏しいのが現状です。
 私は、無発語の子どもの言語指導は、そのケースに応じて音声言語の指導だけではなくあらゆるシンボルや文字を含めた様々なコミニュケーション手段を個人の障害の状態やライフスタイルに併せて導入していくのがよいと考えています。また、社会の中で生きていく道具としてコミュニケーションを教えていくという立場では、その子どもが現在持っている力ですぐに実現可能な方法(音声・サイン・書字・シンボル・写真・具体物など)で、コミュニケーションの楽しさや便利さを教え、その後により便利な方法(音声)に移行する方法が理想的であると考えます。
 サイン言語の表出が可能になるためには、いくつかの「前提となる行動」が獲得されている必要があります。最も重要なものが注視行動(一定時間モデルに注目できる)と模倣行動(モデルの動きを模倣する)です。これらが未獲得の場合は、まずそれらの行動を指導する必要があります。これらの行動の指導は一定時間の着席が困難であれば、自由遊び場面(鏡などの遊び場面)を利用しておこなってもよいですし、着席が可能であれば手遊び歌などで行ってもよいでしょう。また、その後の音声への移行を考えると音声理解言語(音声で指示して複数の物品や絵カードの中から正答を選択できる)も重要です。サイン言語指導の前提としてこれらの行動を日常場面や教室場面で評価し、必要に応じて指導していくことが大切です。
2.対象児 幼児期に自閉症と診断を受け、養護学校小学部に在籍する5年生の男の子。固執的傾向や特定の音に対してパニックになるなどの行動特徴は有しているが、対人回避傾向や多動性は消失していました。グッドイナフ人物画知能検査では4歳8ヶ月の発達が示されていました。複数の絵カードを並べ「○○(名詞)どれ?」などの問いに対して適切なカードを選択することが可能であることから、名詞の理解語は豊富であると考えられました。「アウア」「エエッ」等の発声はありましたが、音声のみでの伝達は困難で指さしなどで意志を伝達しようとすること、うまく伝達できない場合は、あきらめてしまうか、癇癪をおこすことが多いということが報告されていました。
3.アセスメント1)日常的な観察や保護者からの聞き取りによる評価 コミュニケーション指導は、指導後、教えた行動が日常場面で使用されなければ意味がありません。そのためには日常場面のコミュニケーションがどのような文脈で、どのように行われているか、また家族や本人にとってどのような文脈でのコミュニケーションのニーズが高いのか、実際に観察したり、家族からの聞き取り調査を行います。子どもの反応を実際に記録する際には、どんな状況(文脈)でその反応をしたかを具体的に記述するようにします。本事例では、要求場面で他者の手を取って要求物に近づけるクレーン反応や、指さし、不完全な発声がみられることが日常場面の観察からあげられました。また本児のそのような要求行動や発声は、母親には理解されているが、他の家族やその他の人については理解されないことも多いということがわかりました。
2)教室場面での評価 日常場面の観察から得られた評価をもとに、指導目標を絞り込むため、関連する行動について系統的な評価を行います。例えば、要求場面で子どもが実際にどのような行動を自発するか試してみます。また先に述べた「前提となる行動」、つまり模倣行動の獲得やこちらからの音声がどの程度聞き取れているのか理解されているのか等について以下のように評価を行ないます。
3)動作模倣能力の評価 自閉症や知的障害をもつ子どもの場合、力のコントロールや緊張から手指の微細な運動に困難を示す場合があります。この場合、聴覚障害者が用いる手話よりも動きの簡単なサインを工夫する必要があります。知的障害者用に工夫されたマカトンサインのようなものを参考にしてもよいし、周囲の人が理解しやすく本人も習得しやすいオリジナルなものを考案してもよいでしょう。どのような動きであれば模倣可能なのかを評価した上でサインの動きを決定していく必要があります。 
4)音声模倣能力・構音能力の評価 動作模倣が可能であるからといって、それがすぐにサイン言語の指導というように考えるのではありません。特に低年齢児の場合は、将来的な音声への移行を視野に入れ、音声の指導を平行して行っていく必要があります。指導者の音声をオウム返しさせ、どのような音・長さであれば模倣可能か評価します。
5)音声言語の理解に関する評価 本人から他者への伝達手段はサイン言語を用いるとしても、他者から本人への伝達手段については別に考える必要があります。音声だけで十分に理解可能なのか、サイン+音声で語りかけた方が理解しやすいのか等について評価します。具体的には、複数の選択肢(物品や写真や絵カード)の中から音声または音声+サインで指示し、どのような指示の仕方で適切な物品(カード)を選択可能かを調べます。またこれによって大体の理解語彙数も明らかになります。市販の検査では「絵画語彙検査」を用いてもよいでしょう。
4.指導目標の選定と定義 日常的な観察や保護者からの聞き取りによる評価や教室場面での評価により、短期目標と長期目標を設定します。設定に際しては親や教師間で十分に話し合いの場を持ち、家庭のニーズを反映させるようにします。本児の場合は、 要求場面において物品名を表すサインと音声を併用して要求できることとしました。 長期目標としては「日常場面・遊び時間に好みの玩具をサインで要求できる」こととしました。長期目標を達成していくためには、家庭や学校のどの場面で、学習した行動が自発できればよいかということを具体的に考え、その場面を要求がでやすくするように構造化したり、子どもの自発を待ったり、手がかりを与えて促したりすることが必要になります。このような日常的な場面を捉えて言語指導を行う方法は機会利用型指導法(incidental teaching)と呼ばれています。「教室場面での指導」と「機会利用型の指導」を組み合わせて行うことによって、日常場面でのコミュニケーション行動の自発は最も効果的になるのです。
5.指導の方法 この指導では、指導者の他にカードを手渡す供給者が必要となります。障害児学級などで行う場合、供給者は指示者以外の教師がやってもよいし、サインや音声理解ができる他の生徒が行ってもよいでしょう。また3〜4人の小集団で行い、順番に要求する役やカードをわたす供給者役を役割交代しながら行ってもよいと思います。その際、要求の仕方は各個人にあったもの(A君はサイン、B君は音声、C君は書字等)にする必要があります。
図1セッティング
表 行動連鎖のステップと記録用紙の例
                                        

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

児童名 ○○○○ 指導日 99年6月1日
ステップ 1回 2回 3回 4回 5回  備考

@供給者のところまで移動できる






 

A供給者の注意を引く






 

B-1 サイン+音声で要求できる






 

B-2 要求した物品と異なったもの
   の場合「ちがう」のサイン+
   再要求ができる

 

 


 

 


 

 


 

 


 

 


 

 


C指導者のところに移動し物品を
  手渡す


 


 


 


 


 
 
 
△は援助による自発 ○は自発
 ステップ@では指導者は子どもと向き合い、供給者を指さししながら「○○君、△△先生(供給者)に(玩具カード名)もらってきて」と指示します。ここでは供給者のところに移動することが目標です。困難な場合は、子どもの注意を引いて教示を繰り返すとともに、子どもに近づき「こっちだよ」と声かけしながら誘導するようなプロンプトを行います。本児の場合、ステップの@では、指導者は音声で「もらってくる玩具カード」を指示していますが、これは本児が先の事前評価で音声理解言語(音声をいってカードが取れる)ことがわかっていたからです。音声理解が困難な子どもの場合には絵カードや写真カードを見せて「これと同じの持ってきて」と指示してもよいし、実際に子どもが供給者に対しておこなう玩具のサインをしながら音声で指示してもよいでしょう。 
 ステップAでは供給者は子どもに直接注意を向けない状態で背を向けて立っています。これは、子どもに「コミュニケーションするときは聞き手の注意を引く」ということを教えるためです。コミュニケーションは、他者が「聞き手」として成立することが前提です。日常的な場面では子どもがサインをしている時に、他者はいつでも自分に対して注意を向けてくれているわけではありません。「他者の注意を適切に喚起する行動」が教えられていないと、注意を引くために親や教師の困ることをするという問題行動が生じてくる場合もあります。ここでの目標行動は、供給者の背を軽くたたき、供給者の注意を引くことです。これが出来た場合は、供給者は「なぁに」といって子どもの方を向くようにします。困難な場合は、指導者は子どもに近づき、供給者の注意を引く動作のモデルを示し、模倣させます。
 ステップBでは、適切な物品サイン+音声で要求することが目標行動とされていますが最初から完全なサインを期待するのではなく近い動作なら対応するようにします。困難な場合、供給者は「なーに」といって自発を促します。数度試みても自発できない場合、指導者は子どもを呼び戻し再度物品を指示するか、供給者の前でサインのモデルを示し模倣させるようにします。また、将来的には要求したものとは異なったカードを渡された場合、「ちがう」のサインをすることを教えるというように展開できます。
 ステップCでカードを手渡すことができたら、図2のようなトークンシートにシールを貼るようにします。トークンシートを導入することによって、子どもは「課題がいまどこまで進んだか」「あとどこまでがんばるのか」という見通しを持つことが容易になり、セルフ・コントロールの援助になります。さらに集めた複数の玩具カードの中から選択して遊ぶべるようにすれば最終的な強化になるでしょう。
図2 トークンシートの例
6.記録と評価
 記録表の例を表2に示しました。各ステップごとに評価することによって、子どもが今現在どのステップが得意で、どのステップが困難であったか、またどのようなプロンプト(援助)が有効であったかが明確になります。また、引継ぎなど指導者が交代した場合もわかりやすいものです。指導で獲得したサインが他の学校生活の場面や家庭で使用されるためには、家庭や本児に関わる他の教師との情報の共有が最も重要です。子どもが獲得したサインを周囲の人に理解してもらえるようにポスターを作ったり、プリントを配るなどの啓蒙活動の有効性は先行研究によっても証明されています。 7.指導の応用(マンド〔要求〕からタクト〔報告〕へ) 本事例では、この後の指導の展開として、箱の中に特定の物品を入れておき、「みてきた物を報告する」という報告場面でサイン言語の指導に展開しました。そして最終的にその場面で、「〜でしたか?」という質問について「はい/いいえ」のサインで答えられるようになった。サインのレパートリーを増やすことも重要ですが、一つのサインを要求場面に限定して教えるのではなく、報告場面や質問/応答場面などいくつもの異なった文脈で教えることで、コミュニケーションの道具としてより定着したものになります。 また、本児は本指導と文字指導と発声訓練を平行して行った結果、1年後には子音が母音化する(「クルマ」が「ウウア」になる)ものの、サインと音声を併用してコミュニケーションを行うようになりました。本児の場合もサイン言語や文字指導は音声言語の習得に相乗的な効果をもたらしたと思われます。音声指導のみサイン指導のみにこだわるのではなく、その子どものそのときの発達状態にあわせて最も獲得されやすいコミュニケーション指導を中心に優先順位をつけて指導していくのが望ましいと考えます。                                                                         (ver.1 2001 1)
         
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